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原爆投下の日 加害責任・戦禍拡大責任不問の祈りの日にしてはならない(醍醐聰 - 七転八起Shichitenhakki

2018/08/17 (Fri) 22:19:40


原爆投下の日 加害責任・戦禍拡大責任不問の祈りの日にしてはならない(醍醐聰のブログ)
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2018/08/post-0f9e.html





長崎の被爆者の安倍首相への怒りの声を伝えた報道ステーション 
 2週間ほど前、幾人かの知人から、「報道ステーション」がおかしくなっている、という話を聞いた。その頃、私は「報道ステーション」を視ていなかったので、事実なら嘆かわしいと思って済ませていた。
 先日、テレビ・レコーダーを買い替え、多少、機能アップをしたことから、この1週間ほど各局の報道・ドキュメンタリー番組の録画を取って視てみたら、「報道ステーション」の中に大変、充実した特集報道あった。
 その一つが、8月9日の番組の中で「長崎73回目の原爆の日 『政府が先頭に立つべき』」というタイトルで放送された特集である。
http://urx.mobi/LyYF (2分15秒~) 

私が「充実した」と書いたのは、原爆の日の慰霊式典のあと、安倍首相と被爆者が面会した場面を詳しく、生々しく伝えた点である。

*安倍首相と向き合った田中重光さん(77才。4歳の時に被爆)の発言
 (抜粋)
 「総理、私たちは73年前、人間らしく生きることも人間らしく死ぬことも
できない生き地獄を体験しました。」
 「広島、長崎のあいさつの中で核兵器禁止条約に一言も触れられていませ
  んが、その真意をまとめの発言で述べていただくようお願いします。」

 すぐ上の田中さんの発言は、被爆者代表が安倍首相に手渡した要望書の末尾に急遽、手書きで書き加えられた一文だった。「報道ステーション」のカメラはその部分を大写しした。大変、臨場感に富んだ場面だった。 

 さらに、番組では、安倍首相との面会の後で、面会に同席した被爆者にマイクを向け、生の怒りの声を伝えた。

 田中重光さん(上記)の発言
 「被爆者の願いは核兵器をなくすこと。そのことに触れないというのは、
  どんなつもりで来ているのかと思います。〔核兵器廃絶の先頭に立たな
  いんだったら〕言いなさんな 唯一の被爆国なんて」

 中島正徳さん(88才。15歳の時に被爆)の発言 
 「はっきり言えば、毎年似たようなことを言っている。・・・・ 要する
  に 適当に答えとけと」

安倍首相と被爆者の面会の模様を全国ニュースで伝えなかったNHK 
 NHKは9日夜7時、9時の全国ニュースで安倍首相と被爆者の面会の模様を伝えなかった。(選んで?)伝えた被爆者の声は、「兄に、しあわせで何とか食べているから安らに眠って下さいと伝えに来た」という言葉だった。それと長崎の爆心地で互いに繋いだ手を挙げて平和のバトンを受け取る高校生の姿だった。

生死を引き裂かれた家族の絆と愛情、平和の声を響かせ合う若い世代の動きも原爆投下後73年の被爆地の姿に違いはない。

 しかし、原爆投下は永井隆が意味ありげに唱えた「天災」ではないし、「神の啓示」でもない。アメリカが用意周到に実行した国家的犯罪行為である。

そうした犯罪としての原爆投下の認識、犯罪行為の主体を明示することなく、ただ、「平和を願う祈り」の姿を映すだけでよいのか? そうした映像を公共の電波で拡散することが、どのようなムード・メークになるのかを十分、読みこんだうえでの報道だとしたら、一種の「報道犯罪」と言っても過言ではない(この点、後で再論)。 

ただし、NHK長崎放送局は安倍首相と被爆者の面会の模様を伝えた。
 「首相に核禁条約賛同を求め要望書」
 (8月9日、14時37分、NHK長崎ニュース WEB)
http://urx.mobi/LyYI  

 「被爆者団体の代表が、核兵器禁止条約に署名・批准し、核兵器廃絶を推し進めるよう求めたのに対し、安倍総理大臣は『求められているのは核兵器国と非核兵器国の橋渡しをすることだ』と強調し、条約に署名・批准するつもりはないという考えを改めて示しました。」

 「長崎の5つの被爆者団体の代表は、・・・・『唯一の被爆国である日本の政府は、〔核禁条約に〕署名も批准もしないとしている。到底、理解できない』と述べ、政府の対応を批判しました。」
 「このあと、長崎県被爆者手帳友の会の井原東洋一会長は『去年の答と変わらず、1年間、前進がなかった。「橋渡し」と言うが、無理な話ではないか』と話していました。」 

 報道ステーションと比べれば、生々しい臨場感に欠けるが、安倍首相の応答を伝えたうえで、それに対する被爆者の反応(批判)を伝えたことは評価できる。
 逆に言うと、このようなやりとりがあった事実を全国ニュースで伝えなかったのは、「政権が知られたがらない事実は伏せる」NHKの体質を浮かび上がらせたといってよい。こうしたNHKに、いちばんくやしい思いをしたのは、ほかでもない長崎、広島の被爆者ではなかったかと思う。

核廃絶、プルトニウムを言うなら、なぜ日本の現実を直視し、報道しないのか?~NHKニュース・ウオッチ9を視て~
 8月9日、NHKニュース・ウオッチ9は安倍首相と長崎の被爆者代表との面会の模様を伝えない一方で、「被爆者が見た“核を生んだ町”」という特集報道を伝えた。
 http://www9.nhk.or.jp/nw9/digest/2018/08/0809.html 

 番組は、有馬キャスターの「長崎に原爆が投下されて今日(9日)で73年。しかし、被爆者が訴えてきた『核なき世界』の道筋はいまだ不透明です。核の保有国と非保有国の認識が大きく隔たっているからです」という語りで始まった。

では、「不透明な道筋」、「認識の隔たり」の依って来る原因、『核なき世界』の実現を阻む壁に迫るのかと思いきや、話題は、一人の被爆者Mさんが核を生んだ町(アメリカ・ワシントン州のリッチランドを訪れ、そこで見たことを紹介するという企画だった。

 リッチランドでは、かつて長崎に投下された原爆に使われたプルトニウムが作られ、その後も核関連の産業が町の発展をけん引してきたという。番組は、レストランのメニューに原爆を誇示する「アトミック」の文字が使われ、町の高校の校章には原爆のキノコ雲が使われていることを伝えた。多くの住民が、原爆を生んだ町の歴史を「誇り」に思い、それに「栄光」を感じているという。
 同時に、番組は、この町で農業を営む男性の、核施設から拡散する放射能の被害に長年悩まされている、という声も紹介した。それを受けて、Mさんはこの男性に自分の家族の過酷な被爆体験を語り、2人は共感しあった。
 その後、場面はこの日の長崎原爆の慰霊式典に移り、「73年もたったが、核兵器廃絶への本当の、もっと力を込めて一歩を踏み出す。今年はそうではないかなと、私自身がそう思います」というMさんの言葉で締め括られた。

 アメリカの原発生産の地元住人の原発に関する今の意識を伝えたことは日本人にとっても意義のあることは確かだ。
 しかし、核兵器廃絶への本当の一歩というなら、はるかアメリカのリッチランドにではなく、抽象的な誓いの言葉でもなく、この日、核兵器禁止条約への参加をめぐって、長崎で交わされた安倍首相と被爆者のやりとりをなぜ伝えなかったのか?
 プルトニウムの今日的話題を取り上げるのなら、はるかアメリカのリッチランドに出かけなくても、日本の足もとの現実に焦点を充てるのが先ではないか?

 「英国にある約21トンは、現状では日本に持ち帰るのが難しい事情もある。英国のMOX燃料工場は2011年に閉鎖され、燃料に加工できない。加工する前のプルトニウムを日本に輸送すれば、核拡散への懸念から国際問題に発展しかねない。このまま『塩漬け』になれば多額の保管料を払い続けることになる。」

(「保有プルトニウム、原子力委が削減方針 米などが要求」『朝日新聞DIGITAL, 』2018年7月31日16時26分。)
https://www.asahi.com/articles/ASL7Z7TNRL7ZULBJ01M.html

 メディアの報道の価値を左右する第一の最大のポイントはアジェンダ(焦点)設定の的確さ、先鋭さである。8月9日のNHKの「長崎原爆投下から73年」にちなんだ特集報道は、このポイントをたまたまではなく、それと意識して外したと思えた。



「被害者はいるが加害者がいない」 
 上の言葉は、今年の7月23日、山梨県牧丘町で開かれた金子文子の92回忌に出かけた時に来日された韓国の人が話した発言である。
 「加害者がいない」・・・・一瞬、意味を理解できなかったが、しばらくして、「被害を告発する者はいるが、加害責任を引き受ける者がいない」という意味だと理解した。
 戦後、アメリカに一度も原爆投下責任を問わないまま、オバマ大統領の広島訪問、安倍首相の真珠湾訪問で和解を演出しようとした日本。原爆投下の日を加害責任・戦禍拡大責任不問の「祈りと慰霊の日」にしてはならない、メディアが「祈りと慰霊の日」のムードメーカーになるのは、歴史に対する不忠であり、歴史の教訓に対する背信である。

碑文論争の混迷を克服することが思想的課題
 原爆投下に関して言うと、加害責任不在の「祈り・慰霊」への翼賛は広島での「碑文論争」に典型的に現われている。これについては、2011年9月4日にこのブログに投稿した記事に、自分なりに詳しく書いたので、その要旨を引用しておきたい。

「碑文論争の今日的意味を考える~この夏も原爆の史跡めぐりに広島へ(Part2)
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/part2-0e6a.html 

 ここで「碑文」というのは広島平和公園に建てられた原爆慰霊碑(正式名称は広島平和都市記念碑)に刻まれた、「安らかに眠って下さい 過ちは 繰り返しませぬから」を指す。「論争」とは、この碑文の「主語」は誰を指すのか、誰れ彼れを指すものではないのか、という議論である。

 碑文批判論者は、この碑文では誰のどういう過ちかを何も語っていない、これでは被爆の教訓を伝えることにならないし、犠牲者を弔うことにもならない、と主張した。
 対して、碑文擁護論者は、原爆投下は誰のせいかを詮索することよりも人類全体への警告・戒めとして碑文の意味を受け止めるべきだと主張した。
 論争の詳細は上のブログ記事で詳しい目に書いたので、繰り返しは控えるが、原爆の日を「祈り・平和への誓い・慰霊の日」にすることを是とする論調は、碑文擁護論を基調とするものであることは明らかである。
 
 それを承知で私が共鳴するのは、碑文論争の端緒となったの『朝日新聞』(1957年8月10日)の「声」欄に掲載された投書の次の一節である。

 「・・・・後文については、私は大いに異議がある。『あやまちは繰り返しません』では『過誤は我にあり』ということになろう。これで犠牲者が、安らかに眠れようか。残虐きわまりない原爆を落としたのはたれだ。米国人は一様に『原爆投下は終戦を早め、無用の抵抗によるより大きい犠牲を防ぐために・・・・』との弁解をするが、それは決して原爆の残虐性を帳消しにする理由にはなるまい。ここでこの戦争の責任をとやかく論議しようとは思わぬが、日本の、広島の当局者がいまなおわけもなく卑屈にみえることを、実に遺憾に思うのである。・・・・後文はよろしく『過ちは再び繰返させませんから』と刻み直すべきであろう。」(中村良作=短期大学教授)

 私流に言い換えると、「過ち」と認めない当事者を不問にして「過ちを繰返さない」と誓うのは空語に等しい。「誰の」「どういう」誤りかを不問にし、誤りを犯した当事者(原爆投下を用意周到に準備し、実行したアメリカ政府、戦禍拡大を放置した日本の天皇・政府・軍部)が自らの過去の行為を今日なお「誤り」と認めていない足元の事実を直視せず、「皆さまの尊い犠牲の上に戦後の日本は繁栄を遂げました」などと歴史を偽造する言葉をシレッと語り続ける日本政府の無責任を質すことなく、「安らかに眠って下さい 過ちは 繰り返しませぬから」とは欺瞞もいいところだ。

 安らかに過ちは繰り返へしません」という墓碑銘はウォール街に
 でんと建てよ                    増岡敏和(工員)
                     (『歌集広島』1954年、所収)

 総懺悔などと美辞もつ過去がありて原爆死すら言へざりき日本 
                         小山誉美(短歌長崎)
  (2010年9月1日に訪れた長崎県立図書館に配架されていた長崎歌人会
   編『原爆歌集ながさき』に収められた短歌より)


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