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サウジと米国で展開される民主主義と無縁の権力抗争(その1) 《櫻井ジャーナル》 - 七転八起Shichitenhakki

2018/10/17 (Wed) 23:08:16


https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201810170000/





※転載元リンク箇所あり


 サウジアラビアの現国王はサルマン・ビン・アブドラジズ・アル・サウドだが、実際に国を動かしているのはモハメド・ビン・サルマン皇太子。トルコのイスタンブールにあるサウジアラビア領事館へ入ったままジャマル・カショーギが行方不明になっている事件の責任者もサルマン皇太子だと考えられている。



 この事件に不可解な点があることは本ブログでも指摘した。ここにきて話題になっているのは10月10日にアル・ジャジーラが公表した写真。

 カショーギが行方不明になった10月2日にイスタンブールへ到着した15名のサウジアラビア人が写っている。この15名は行方不明、あるいは殺害に関係した疑いがあるとされたのだが、そのうちのひとり、アブデル・アジズ・シャビブ・アル・バラウィは昨年、死亡しているとこの人物の家族が証言しているのだ。これが事実なら、問題のサウジアラビア人グループが10月2日にトルコ入りしたという話が怪しくなる。ひとりを殺したり誘拐するために15名も必要ないという疑問は当初から指摘されていた。



 行方不明事件が起こった頃、アメリカとサウジアラビアとの関係はギクシャクしていた。例えば10月2日、アメリカのドナルド・トランプ大統領はミシシッピー州で開かれた集会で、​サウジアラビアの現体制はアメリカの保護がなければ2週間で潰れると同国のサルマン国王に対して警告した​と語っている。




 嘘ではないが、アメリカがサウジアラビアの王制を守るのはドル体制を維持するためにほかならない。少なからぬ人が指摘しているが、サウジアラビアをはじめとする産油国に対してアメリカ支配層は石油取引の決済をドルに限定させ、その代償として収入と支配者としての地位を補償したのだ。いわゆるペトロダラーだが、この補償を取り消した場合、ドル体制が揺らぎ、アメリカを中心とする支配システムが崩れてしまう。



 つまり、トランプの脅しが王制の崩壊を意味しているのではなく、モハメド・ビン・サルマンの体制が倒れるという意味だったのだろう。ビン・サルマンが皇太子に就任したのは2017年6月、その前の皇太子はホマメド・ビン・ナイェフだった。



 ビン・ナイェフはネオコンに近かったのだが、2016年のアメリカ大統領選挙でネオコンが担いでいたヒラリー・クリントンが敗北、皇太子の地位を失った。新皇太子はアメリカのドナルド・トランプ大統領やイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相に近い。



 カショーギは1980年代から記者をしているが、タルキ・ファイサル・アル・サウド(タルキ・アル・ファイサル)の下でプロパガンダの仕事をしていた。このタルキ・アル・ファイサルは1979年から2001年、9/11の10日前まで(!)サウジアラビアの情報機関GIP(総合情報庁)の長官。この人物の兄弟、ハリド・アル・ファイサルの影響下にあるとされている新聞がアル・ワタンで、カショーギは2003年に同紙の編集者を務め、2007年には編集長に就任した。カショーギが本当に民主主義的な考え方の人物だったなら、タルキ・アル・ファイサルに重用されるということは考えにくい。



 思想的には反コミュニズムでジハードを支援、そうした関係からジミー・カーター政権の国家安全保障補佐官だったズビグネフ・ブレジンスキーが始めたサウジアラビアでの秘密工作に参加、オサマ・ビン・ラディンとも知り合いになっている。ダーイッシュ(イスラム国、IS、ISIS、ISILとも表記)による斬首も賞賛していた。



 形式上、カショーギはジャーナリストなのだが、本ブログでも書いたように、サウジアラビアやアメリカの情報機関と結びつき、オサマ・ビン・ラディンと同じようなタイプの人物。サウジアラビアでジャーナリストは迫害され、処罰の対象になる。カショーギは支配システム内部の人間だった。



 カショーギがアメリカへ逃れたのは権力抗争の結果にほかならない。2017年6月に皇太子がホマメド・ビン・ナイェフからモハメド・ビン・サルマンへ交代、カショーギはアメリカへ移動し、同年9月からワシントン・ポスト紙で書き始める。その2カ月後にサウジアラビアでは大規模な粛清が行われた。



 王族、閣僚や元閣僚、軍人などサルマン皇太子のライバルやその支持者と目される人々が拘束されているのだが、その中には1983年から2005年まで駐米大使を務め、05年10月から15年1月にかけて国家安全保障会議事務局長、12年から14年までGIP長官を務めたバンダル・ビン・スルタンも含まれている。



 この人物はアル・カイダ系の傭兵やチェチェンの武装集団をコントロール、いわば「テロの黒幕」的な存在。ブッシュ家と親しいことでも有名で、「バンダル・ブッシュ」と呼ばれるほどだ。粛清の結果、ビン・サルマン皇太子とCIAとの関係は悪化、アメリカ側から何らかの報復があるのではないかと言われた。(つづく)







サウジと米国で展開される民主主義と無縁の権力抗争(その2) 《櫻井ジャーナル》
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201810170001/



 ​アル・カイダはCIAが訓練した「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイル​だと故ロビン・クック元英外相は指摘したが、これは正しい。アル・カイダはアラビア語でベースを意味、「データベース」の訳語として使われているのだ。この傭兵システムを1970年代の終盤に作り上げたのがジミー・カーター政権の国家安全保障補佐官だったズビグネフ・ブレジンスキーである。



 アフガニスタン後、アル・カイダ系武装集団は旧ユーゴスラビアで活動、1998年8月にケニアのナイロビとタンザニアのダル・エス・サラームのアメリカ大使館を爆破したとされている。これを口実としてアメリカのビル・クリントン政権はタリバン政権が支配するアフガニスタンをスーダンとともに巡航ミサイルで攻撃。タリバン政権はアメリカとパキスタンが作り上げたのだが、TAPIパイプラインの敷設計画を巡ってアメリカ政府とタリバン政権は1996年から対立していた。



 アル・カイダの名前を知る人が増える出来事が2001年9月11日に引き起こされた。ニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃され、ジョージ・W・ブッシュ政権は詳しい調査をする前にアル・カイダが実行したと断定、アフガニスタンを攻撃し、2003年にはアル・カイダ系武装集団と敵対関係にあったイラクを先制攻撃した。



 ブッシュ・ジュニア大統領はネオコンに担がれていたが、このネオコンの中心グループに所属するポール・ウォルフォウィッツは1991年の夏頃、イラク、シリア、イランを殲滅すると発言していた。当時、ウォルフォウィッツは国防次官。1991年12月にソ連が消滅、翌年の2月にウォルフォウィッツたちは国防総省のDPG草案という形で世界制覇計画を作成した。いわゆるウォルフォウィッツ・ドクトリンだ。(​3月​、​10月​)



 バラク・オバマ大統領はムスリム同胞団を中心にした蜂起で体制を倒すため、2010年8月にPSD-11を出す。ムスリム同胞団を中心にした蜂起で体制を倒すという内容で、翌年の春からリビアとシリアで作戦は始動した。シリアは1991年にネオコンが公言していたターゲット国。リビアのムアンマル・アル・カダフィはアフリカを自立させるため、ドル支配から脱出しようと目論んでいた。



 リビアのカダフィ体制は2011年10月に崩壊するが、そのときにアル・カイダ系武装集団とNATO軍の連携が明白になった。その武装集団の傭兵たちはシリアへ移動していくが、その拠点がベンガジにあるアメリカ領事館。カダフィが惨殺された直後、ベンガジの建物にアル・カイダの旗が掲げられた。(​ユーチューブ​、​デイリー・メイル紙​)



 2012年9月11日にベンガジの領事館が襲撃され、クリストファー・スティーブンス大使が殺されている。大使はその前日に領事館でCIAの工作責任者と会談していた。当時、CIAの長官を務めていた人物はネオコンのデイビッド・ペトレイアスで、国務長官はヒラリー・クリントンだ。オバマ政権はムスリム同胞団との関係が深かったと見られているが、それに反発したサラフィ主義者のグループが襲ったとも噂されている。



 この襲撃の前月、つまり2012年8月にアメリカ軍の情報機関​DIAはホワイトハウスへシリアに関する報告書​を出している。シリア政府軍と戦っている武装集団の主力はサラフィ主義者やムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQI(DIAはアル・ヌスラと実態は同じだとしているが、これは正しい)であり、オバマ政権が主張するところの「穏健派」は事実上、存在しないとしていた。




 東部シリア(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配国が作られる可能性があるともDIAは警告、これは2014年にダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)という形で現実になるが、報告書が作成された当時のDIA局長がマイケル・フリン中将だ。



 ダーイッシュは2014年1月にファルージャで「イスラム首長国」の建国を宣言、6月にはモスルを制圧した。その際にトヨタ製の真新しい小型トラック「ハイラックス」を連ねてパレード、その後継を撮影した写真が世界規模で流れているが、その際、アメリカ軍はスパイ衛星、偵察機、通信傍受、人からの情報などでダーイッシュの動きを把握していたはず。ところが反応していない。オバマ政権はイラクやシリアでの作戦にダーイッシュを組み込んでいたと見られているのだが、この武装集団とアメリカとの関係はアメリカの軍人や政治家も口にしている。



 例えば、アメリカ空軍の​トーマス・マッキナニー​中将は2014年9月、アメリカがダーイッシュを作る手助けしたとテレビで語り、​マーティン・デンプシー​統合参謀本部議長(当時)はアラブの主要同盟国がダーイッシュに資金を提供していると議会で発言、10月には​ジョー・バイデン​米副大統領がハーバーバード大学で中東におけるアメリカの主要な同盟国がダーイッシュの背後にいると語っている。2015年には​ウェズリー・クラーク​元欧州連合軍最高司令官もアメリカの友好国と同盟国がダーイッシュを作り上げたと述べた。



 そして2015年8月、​マイケル・フリン元DIA局長​はアル・ジャジーラの番組へ出演した際、ダーイッシュの出現を見通していたにもかかわらず阻止しなかった責任を問われ、自分たちの任務は提出される情報の正確さをできるだけ高めることにあり、その情報に基づいて政策を決定するのはバラク・オバマ大統領の役目だと答えている。つまり、オバマ政権の「穏健派支援」がダーイッシュの勢力を拡大させたというわけだ。


 一時期、ダーイッシュなど武装勢力はシリア政府軍を圧倒、シリアはサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団が支配するカルト国家になりそうな雰囲気だった。2015年2月に国防長官がチャック・ヘイゲルからアシュトン・カーターへ、また統合参謀本部議長が同年9月にマーチン・デンプシーからジョセフ・ダンフォードへ交代になるが、いずれも戦争に消極的な人物から好戦的と見られる人物へのバトンタッチだった。アメリカ軍の直接的な軍事介入も噂された。ロシア軍がシリア政府の要請でシリアへ軍事介入したのはこの年の9月30日だ。



 この軍事介入で戦況は一変、ダーイッシュやアル・カイダ系武装集団を名乗る傭兵は支配地域を急速に縮小させ、バシャール・アル・アサド体制を倒すというアメリカ、イスラエル、サウジアラビア、イギリス、フランス、トルコ、カタールなどの目論見は崩れる。



 現在、ユーフラテス川の北側はアメリカ軍、イギリス軍、フランス軍が20カ所以上に基地を建設して居座る姿勢を見せているが、同川の南側はイドリブなど一部を除いて政府軍が奪還に成功している。イドリブにはトルコを後ろ盾とする武装グループとアメリカを後ろ盾尾とする武装グループが残っているようだが、上層部はアメリカ軍が脱出させたとも言われている。



 アメリカ軍が行っていることは、かつて日本軍が中国で行ったことに似ている。日本は満州人を使って満州国をでっち上げたが、アメリカはクルドを使って傀儡国家を建設しようと目論んでいる。(了)


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